江戸幕府が鎖国政策に転じたため,洋学はほとんど蘭学に限られたが,フェートン号事件を機に幕府は英語通詞の養成を始めた。
その後19世紀半ばにいたり,識者の間に英語の国際的重要性の認識が生じ,ペリー来航,それに62年幕府はほとんど蘭学中心であった蕃書調所(ばんしよしらべしよ)を洋書調所と改称し,英学を開講している。
幕末から明治にかけて,藩の留学生などが欧米に派遣されたが,その中にはやはり蘭学から英学に進んだ福沢諭吉らがいる。
外国人の中には英和,和英辞典を編み教鞭を取って,後の日本の学者や英語教育者を育てた。
その中で,東京,大阪などの外国語学校,高等商業学校,英米人宣教師の多いキリスト教系の学校などで英会話や発音にも重きが置かれた教育が行われるようになり,高等師範学校や女子英学塾(津田塾大学の前身)などで日本人英語教師が養成されるにいたり,
明治末ころには英米の教科書に代わって自前の教科書や各種辞典,文典が発刊され,岡倉由三郎らの英語教授法を論じた著作も出た。
パーマー提唱のオーラルメソッド oral method は英語による英語教育で,発音と口頭作業,〈英語で考え thinking inEnglish〉,翻訳の過程を経ずに英語で反応する訓練を強調し(それゆえオーラルダイレクトメソッド oral direct method とも呼ばれる),この方法はとくに入門期に有効であるとした。
17年に《English PronouncingDictionary》が刊行され,その後《英語小発音学》や市河三喜の《英語発音辞典》が出,国際音声字母(IPA)による発音表記が辞典や教科書に採用されるようになった。
英語専門の学校ですら十分な教育が受けられなかったため,第2次大戦後は有能な教師が不足し,新教育制度による中学校が英語が選択教科の形をとりながらも実質的には必修となったにもかかわらず,教育の実が上がらなかった。
米軍を中心とする連合軍の占領は,〈英会話ブーム〉に象徴されるように英語学習への強烈な動機づけとなった。
1940年代に盛んになったアメリカ構造言語学の理論を踏まえた教育法で,言語が構造として備えている音韻,語構成,文構成な言語形式の対比),口頭発表を特徴としている。
母語の使用や訳読に厳しい制限を設けないという点,オーラルメソッドと異なるとされるが,目標言語をできるだけ多く用いる機会を設けること,音声の重視,基礎構文の反覆や文中の語句の入れ換え練習など,共通点が多く,オーラルメソッドが文脈や状況を取り込んでいるのに対し,オーラルアプローチはいっそう体系化されているものの,機械的に過ぎるという批判も出ている。
英語教育法改善を目ざして英語教育協議会(ELEC)が発足,米英の第一線の学者を招いて教育法の研究,教員の再教育等に貢献している。
らチョムスキーの生成文法の影響が日本にも及び始め,60年代後半には英会話・英語教育にもこの考え方が取り入れられるようになった。
戦後はほか民放局も加わり,昭和30年代にはテレビ放送も始まって,英語国出身者を交えて多彩な英語教育番組が組まれて,英語教育の普及に一役買っている。
1960年ころから録音教材を語学ラボラトリー language laboratory(略称LL)が英語教育に取り入れられ,その後視覚教材も併用され,さらに本格的視聴覚教育が威力を発揮するにいたっている。
外国語教育・英会話は早期開始が望ましいことは定説だが,諸般の事情から,現在小学校での英語教育は学校に限られ,早期教育は塾や個人にゆだねられている。
全般的に見れば戦前や戦争直後に比べ,日本人の英語力は会話の面を含めて大幅に上昇しているということができよう。
およそ日本において、私は英語や英会話を学んだことがない、という方はほとんどいなくなってきたといえるでしょう。
しかし、外国の方々と話をしたり意志を通じ合うことがどれだけで切るようになったかといえば、
勉強はしたんだけど、いや、あまりしなかった人もあるかもしれませんが、
英語で話をするとなると、しりごみをしてしまう。身についていないと思わせられる、という方がとても多いのではないかと思います。
少なくとも、学校で勉強する時間は、他のアジア諸国の子供たちに比べてとても多いのです。
ところが、日本人は、アジアの国々の中で、英語を話せない、理解できない、ワースト2だという評価もあります。
私はこれまでいくつかの国に行きましたが、どこに行っても英語を話すことができれば何とかなる、と感じています。
有名な観光地に行けば、特定の言葉ぐらいは、日本語が通じることもあるかもしれませんが、
世界の一般的な地方において、日本語が通じることはまずないといっていいでしょう。
現在では、英語はとても重要なコミュニケーションの手段となっています。
英語を話すことによって、確実に自分の世界が広がっていきます。
Byron Katieさんのものは、特に、別のページも設けさせていただきました。
彼女の英語は、とてもスマートではっきりとした発音なので、聞き取りやすいと思います。内容がまたいいですね。
初めに〈動く絵〉に対する衝動があった。洞窟壁画にも見られるともいわれるが,英会話の前史に記録されるのは,1780年代にスコットランドの風景画家 R. バーカーが考案した〈パノラマ panorama〉で,このことばは現在も〈パン〉(英語ではフランス語ではpanoramique)という英会話用語に生き残っている。
〈パノラマ〉とは,円筒形の建物の内側に装備された巨大な画布が,薄暗い歩廊の中央にいる観客のまわりをゆっくりと回転し,戦闘の光景が眼前にいく動きを見せる見世物で,首を回すようにカメラをふる〈パン〉の技法によるイメージと同じ効果を出すものだった。
このパノラマの興行はヨーロッパ各地に広がって大ヒット。
パリでこのパノラマを見学した明治政府の岩倉使節団の《米欧回覧実記》には,〈初メテ此府ニ来リ皆託異スル一観場アリ,人造ニナリテ,天設ヲ欺ク,奇奇怪怪ナルコト,文明ノ精華トモ名ツクヘキモノニテ,之ヲ〈パナラマ〉ト謂フ,油画ノ展覧場ナリ〉とある。
〈動く絵〉に対する衝動は,こうして,次の三つの技術的な装置と素材の発明および発達によって誕生に具体的に結びつくことになる。
わち,網膜の残像現像(正確には心理現象)を利用した科学玩具の発明,光学器械による発展,写真の発明と発達である。
1646年,スイス生れのイエズス会の神父であり数学者であり神秘主義者でありアタナシウスキルヒャーが,英会話を上映する映写機の先駆である幻灯機を発明。
著書《光と影の大いなる術》の中でその原理を説明しみずから制作している magic lantern の訳で,明治初期に文部省の手島精一の命名になるものである)。
幻灯に似たものは古代エジプト,古代ローマにもあったともいわれるが,静止状態で拡大投影する光学装置としての幻灯機が発明されたのは46年とされる。
その2世紀前にレオナルドダビンチが照明器具,集光レンズを発案していた。
プラトンは《国家》の中の有名な〈洞窟の比喩〉(〈プラトンの洞窟〉)で,暗く深い洞窟の奥でともし照らし出す影像だけを見て生きて人間が外に連れ出されて照らす世界を見て,再び洞窟の中に戻り,結局,人は影だけを見てい影だけが見えるものなのだということを認識する話を書いている。
バレリーはこの〈プラトンの洞窟〉を暗箱の起源と英会話はそこから生まれるという論を展開した。
暗箱が幻灯に応用されたのは17世紀に入ってからで,1660年にデンマークの数学者バンゲンシュタインが初めて太陽光線の代りに人工光線を使って〈映写〉した。
詩人ボードレールは,51年にこれらの科学玩具の一つフェナキスティコープについて次のように書き,英会話を予知しているかのようである。
発明された写真を絵の代わりに使った G.ドメニーのフォノスコープ phonoscopeでその完成点を見ることになる。
後,写真機を一列に一つの動き(走る馬など)を連続的に撮影したアメリカの写真家 E. マイブリッジから,1枚の乾板に12コマの撮影ができる〈写真銃〉を発明したフランスの生理学者 E. マレーらに至るまで〈連続写真〉の試みが盛んに行われた。
フランスの化学および物理学者 L. ルプランスが,パーフォレーション(送り穴)のあいた英会話用フィルムとフィルムを送るためのスプロケットとともに,のちに O. メスターが完成する十字車を使う映写装置を考案(さらに彼はリュミエールの英語トグラフより5年早い1890年に,映写をフィルム撮影を行ったが,その直後に走る列車の中から)と姿を消し,)。
アメリカでエジソンが35ミリフィルムを開発したのも89年であった。
受講生の年齢構成は未就学の幼児から定年を過ぎた熟年層までと非常に幅広く、各教室の所在地による差も大きいが、その大半は20歳代半ば〜40歳前後である。一般の学習塾と違い、「幼児期から外国語に馴染ませよう」という親の熱意で半ば受動的にやってくる幼児〜児童を除いて、受講生は明確な意思を持って受講している。
受講の動機としては「(現在は不要でも、転勤等により)いずれ仕事で語学力が必要になる」や「一人でも海外旅行へ行けるようになりたい」というケースが最も多いようであるが、その他にも「家族の海外転勤に付いて行くため」や、単に「外国人と隣人や友人・恋人として話がしたいだけ」というケースもある。変った所では「風俗店で働く外国人女性従業員と楽しく会話したい」などという些か不純な動機のケースまで聞かれ、そのため様々な人が集まる。
近年では外国人労働者の増加もあって、日本国内でもサービス業を中心に、少なくとも英語で会話する必要に迫られるケースが多い。例えばタクシー運転手やクリーニング業などの、日常の用に足すサービスを提供する業態の中でも、対話する事でサービスの内容を決めて行く種類の物では、客と話せることが必須である。このためこれら業態の者が、「仕事をする上での必要性」に迫られてやってくる傾向も見られる。この中には、日本文化に興味を持つ欧米人が訪れる事の多い寿司屋などの飲食店関係者も含まれる。
所謂外国人がいる職場に務める日本人従業員、またはそれらの職場への就職を希望する者が、外国人従業員に指示を出す・出された指示を理解するために、語学的な素養をつけようと通うケースも聞かれる。大手語学教室では英語に限らず、世界主要国の言葉(ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、中国語、朝鮮語など)を幅広くカリキュラムとしているため、必要に応じて選択する利用者も見られる。
講師陣の多くは確かに「ネイティブスピーカー(特定の外国語を母国語とする者)」である訳だが、全員が語学教育の専門家と言う訳ではない。むしろその大半は幾ばくかの講師教育を受けた程度で、極端な場合には「来日してから数週間」といったまったくの素人であるケースもある。特に講師がワーキングホリデー制度を利用した旅行者や留学生である場合、僅か数ヶ月で異動・退職してしまうことも珍しくない。
各種手続きを行なう日本人スタッフについても頻繁な人事異動があるため、稀にではあるが、ある日を境にその教室のメンバーが総入れ替えになってしまう事もあり得る。このため日本人スタッフはもちろんのこと講師陣においても引継ぎが充分でなかった場合、それに伴うトラブルも発生する。
また同じ英語圏であってもアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなど国による表現の差異があるだけでなく、「訛り」のある講師もいるとされる。良心的なところでは講師の訛りを改善してから受講生の相手をさせるが、中には訛りがあることを知りながら平気で受講生の対応をさせるケースも見られる。
この他、チケット制(言い換えれば代金前払い)であるため、経営困難で閉鎖を余儀なくされた教室の受講生のチケットが払い戻しされないなどして、民事訴訟が起こされたケースもある。
また、トラブルが多いと行政指導が入るケースもある。